− 尖ったピストンと丸めたピストン −
1969年、社命に従って初めてヨーロッパの土を踏みシュツッツガルトを訪れた。シュツッツガルトはなだらかな丘に囲まれ、丘はワイン畑が連なっている。日本の酒の文化は何かお祭り的に見えるが、ワインの文化は哲学的に感じる。これは異郷に座して飲むせいだろうか? シュツッツガルトにはピストンのマーレ社、燃料噴射ポンプ及び電装品のボッシュ社、ガスケットのエルリング社、ポルシェ社更にダイムラーベンツ社が踵を接している。
さて、ピストンの設計には必ずマーレ社が決めている設計の基準を参考にする。そのマーレ社で付属のピストン博物館を見せてくれた。初めて見る技術の博物館、しかもピストンだけで博物館ができる事に先ず驚いた。そこには第二次大戦以前からの多くのピストンの歴史が整理されていたのであるが、展示されている中に連合軍の爆撃で正真正銘全くの瓦解に帰した工場の写真があった。惨憺たる破損煉瓦の山である。私は質問した。「こんなに何もかも無くなったのに何故戦前の部品がこのように綺麗に整理されているのか?」その答は私を感動させた。この瓦礫の山を一つずつ掘り起こして戦前から保存していたピストンを一つ一つ全部探し出したのだと言うのである。技術そのものに対する畏敬の念と先人の血と涙に学ぼうとする意識はドイツ人の伝統であろうかと思った。しかし、その後欧米の文明国では多かれ少なかれ何処でも似たような努力が傾注されていることを知ることになる。人間が自然に手を加えて得られる物心両面の成果が文化である。工業製品も重要な文化であるはずであるが、一昔過ぎればかなりの製品でもスクラップにして憚らない日本人の技術に対する感覚は、未だ未開人のそれなのであろうか?
その博物館の多くの展示の中で、特に奇妙なものが2つあった。斧の刃のように尖ったクラウン(ピストンの頭)を持ったピストンと、クラウンを坊主の頭のように丸めたピストンである。斧の刃は燃焼室に入ってくる燃料の粒を砕き、燃料粒子の微粒化を助け燃焼を良くするのだという。何とも素朴なアイデアだが、その効果を疑わない人はいないのではないだろうか?一方の、頭を丸めた理由はピストンの上下の運動に伴う空気抵抗を、このように流線型にすることで低減し、エンジンの出力を向上させるのだという。誰しも「ええーっ? ホントに!」と絶句するであろう。共に、期待効果は得られず捨て去られたに違い無い。感動するのは、ダメだろうと言われようがひたすら、こんなアイデアを売り込んだ情熱と、それを作らせ、やって見させた土壌である 。おそらく「やってみな」と許可した上司は結果は判っていたのだろう。そして、後になって見れば噴飯ものとも思える試作品を瓦礫の中から拾い出して、再び展示する心である。
本田宗一郎は100の失敗で一つの成功と言ったが、モノ作りの原点はトライアンドエラーである。「ダメ」と言うのは簡単、「やってみな」と言うにはそれなりの責任を負う覚悟が要るし、それなりの真意を問う努力も要る。一方、「やってみな」と言わせたい方にも責任がある。技術屋ならそれなりに論理的に考え抜いた思考と説明は当然の前提であるからである。尖ったピストンと、丸めたピストンの提案はどう説明したのだろうか?そして提案者はどう反省したのだろう。モノ作りの哲学の展示である。
|